この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(ローマ人への手紙12章2節)
1.テモテへの手紙第一6章2節―6節
2.テモテへの手紙第二3章1節―5節
3.ヤコブの手紙4章1節―10節
4.ヨハネの手紙第一2章15節―28節
パウロが、人は神の存在を知っていながら、「彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。(ローマ人への手紙1章22節―23節)」と語っているように、ギリシャ哲学に見られるようにギリシャ人は知恵を追求しながらも、アテネの町が偶像でいっぱいなように、世界中にさまざまな偶像があり、それを拝むことが敬虔なことのように世の人々は思っていますが、ヨハネがすべての世にあるものについて、「肉の欲、目の欲、暮らしむきの自慢」(ヨハネの手紙第一2章16節)と語っているように、その根底には欲やプライドがあり、イエス様を試みたように(マタイの福音書4章1節―10節)悪魔はそれらのものをもって人を神から引き離し、この世、すなわち悪魔にひざまずかせようと誘惑するのではないでしょうか。ヤコブは戦いや争いの原因は「欲」であることを(ヤコブの手紙4章1節)、パウロは敬虔を利得の手段と考えている人たちの間には絶え間のない紛争が生じることを語るとともに「満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」と敬虔に生きる道を、イエス様は真の礼拝者は霊とまことによって礼拝しなければならないことを話されました。今日の聖句「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」を心に据えて、この世に心を向けるのではなく、恵みによって与えられている祝福を感謝し、神に受け入れらる礼拝を捧げるようにしようではありませんか。