互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。(コロサイ人への手紙3章13節)

1.ヨハネの福音書8章3節―11節
2.マタイの福音書18章15節―35節
3.エペソ人への手紙4章26節―32節
4.ヨハネの手紙第一1章5節―2章2節

パウロが「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することができないからです。・・私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の中の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。私は、ほんとうにみじめな人間です。(ローマ人への手紙7章」と語っているように、どなたでもこの世の生きている限り、後悔するようなことを行ったり、言ったりしてしまうような弱さを、しかも何度も同じようなことを間違いや失敗を繰り返してしまうような弱さを抱えて生活しているにもかかわらず、礼拝においてイエス様がお教えくださったように「私たちの負い目をお赦しくさい。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました(別訳:我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ)」と祈っているにもかかわらず、プライドが高かったり、感情に支配されると他者だけでなく自分をも赦せない状態に陥ってしまうことがあるのではないでしょうか。そのような時今日の聖句が「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」と勧めているように、全生涯の罪禍や罪はすでに十字架で支払われ、主に赦されていることを思い起こして、忍び合う、すなわち気持ちを抑えて互いに赦し合うようにしようではありませんか。