主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道の栄える者に対して、悪意をとげようとする人に対して腹を立てるな。(詩篇37篇7節)
1.イザヤ書30章15節―19節
2.イザヤ書53章1節―10節
3.イザヤ書55章6節―12節
4.ローマ人への手紙12章14節―21節
かつては神の義を知らずに自分の義に生きていた時のパウロはナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきだと考え、激しい怒りに燃えてキリスト者を迫害していたのですが(使徒の働き26章11節)、キリスト者となった彼は、自分のうちに罪があることを認識する者となり心の葛藤を覚えるとともに神の愛と恵みの深さを知る者となり(ローマ人への手紙7章18節―24節及び33節―39節)、「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。(エペソ人への手紙4章26節―27節)」と、怒るようなことがあっても、憤るようなことがあっても、それらのことをいつまでも引きずることなく、その日のうちに処理するように勧めていますが、その理由を悪魔に機会を与えないようにするためであることをも語っています。悪魔は、神と神のことばよりも、自分の考えや思い、人のことに心を向けさせようとします(マタイの福音書16章23節)。怒りや憤りは知らず知らずのうちに高ぶりをもたらし、自分の考えで物事を判断してしまい、自分を神のような存在にしてしまうからではないでしょうか。今日の聖句は「主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道の栄える者に対して、悪意をとげようとする人に対して腹を立てるな。」と、主の前に静まり主を待つことは容易なことではないことを語っています。ヤコブの手紙1章20節に「人の怒りは神の義を実現するものではありません。」とあります。感情に支配されがちですが、悪魔の策略に陥らないように、神はすべてのことをご存知であることを忘れずに主を信頼し、主の時があることを肝に銘じて生活しようではありませんか。