目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。(コロサイ人への手紙4章2節)

1.マタイの福音書26章36節―41節
2.エペソ人への手紙6章10節―18節
3.ピリピ人への手紙4章6節―7節
4.テサロニケへの手紙第一5章15節―18節

イエス様はゲッセマネの園で「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、目をさましていなさい。」と仰せられてから、「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞこの杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」と言われてから、弟子たちのところに戻られると彼らが眠っていたので、ペテロに「シモン。眠っているのか。一時間でも目をさましていることができなかったのか。誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」と(マルコの福音書14章32節―38節)、サタンの誘惑に陥らないためには目をさまして、すなわち今がどのような時なのかを何を祈るべきかをよく見定めて祈り続けるように仰せられたのでした。そのペテロは「万物の終わりが近づきました。祈りのために、心を整え身を慎みなさい。(ペテロの手紙第一4章7節)」と勧めています。今日の聖句「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。」は、心を整え身を慎んで祈る秘訣を語っているのではないでしょうか。「目をさまして」すなわち、イエス様は十字架の死を覚悟しながら、ご自身のからだをパンにたとえられて祝福してから裂かれ、血をぶどう酒にたとえられて感謝をささげてから弟子たちに与えられたのでした。感謝できないようなことが多々起こりますが、心と思いがキリストにあって守られるように、いけにえはみを伴いますが、十字架のイエス様を、神はすべてのことを益としてくださることを思い起こし、「いけにえ」は苦痛を伴いますが、感謝のいけにえ(詩篇50篇23節)をささげて祈り続けようではありませんか。