私たちの手をも心をも天におられる神に向けて上げよう。(哀歌3章41節)

1.出エジプト記17章8節―16節
2.詩篇63篇1節―8節
3.ピリピ人への手紙3章17節―4章1節
4.テモテへの手紙第二2章8節―13節

一般的に「手を上げる」時は、イライラしたり憤りを感じた時に暴力をふるうためであったり、降参するときであったりし、打開策もなくどうにもならない状態に陥っている状態のとき「お手上げ」というのではないでしょうか。ところで、詩篇28篇2節は「私の願いの声を聞いてください。私があなたに助けを叫び求めるとき、私の手をあなたの聖所の奥に向けて上げるとき。」と、詩篇134篇2節は「聖所に向かってあなたがたの手を上げ、主をほめたたえよ。」と、キリスト者が手を上げるのは祈るとき、また賛美をささげるときであることを語っていますし、アマレク人との戦いの時モーセが手を上げているときにはイスラエルが優勢になり、手を降ろしているときには、アマレク人が優勢になったように、主に手を上げるなら、勝利がもたらされることを聖書は語っています。ヘブル人への手紙12章2節―3節は、私たちの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないために、十字架を忍び、死からよみがえられて神の御座の右に着座されている信仰の創始者であり完成者であるイエス様のことを考えるように勧めています。今日の聖句が「私たちの手をも心をも天におられる神に向けて上げよう。」と勧めているように、手を上げて主に祈り、主をほめたたえ、パウロが「あなたがたは地上のことを思わず、天にあるものを思いなさい。(コロサイ人への手紙3章2節)」と勧めているように、心と思いが守られるように、私たちの国籍は天にあることを感謝し、思い煩っていることも、心配していることも、恐れていることもすべて心にあるものを神の御前に注ぎ出して(詩篇62篇8節)、主からの勝利と平安をいただこうではありませんか。