今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それは、あなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。(コロサイ人への手紙1章22節)

1.ヨハネの福音書17章13節−20節
2.ローマ人への手紙5章6節−11節
3.エペソ人への手紙1章3節ー7節
4.ヘブル人への手紙10章14節ー23節

人は神によって創造されたのにもかかわらず、神の警告のことばよりも、神のことばを完全否定し、偽り者の父であるサタンのことばを信じて善悪の知識の木から取って食べたことによって神のご支配から、神の働きを妨げ、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしている悪魔に支配される者となり、この世や人の知恵の影響を受けながら自分の考えで生き、自分たちの考えで不滅の神の御栄を、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えて、偶像を造ってそれを神としそれが罪であることがわからず、唯一の神に敵するような生き方をするようになってしまったのでした(ローマ人への手紙1章20節ー25節)。ところで、人はこの世を去るまで罪を積み上げながら生きているために、人の行いや力によって完全な義であり聖である神との関係を修復することは不可能であるがために、今日の聖句が「今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それは、あなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。」と語っているように、神はイエス様を人としてこの世にお遣わしになり、十字架の死をもって、信じる者の罪を赦すだけでなく、取り除いてくださり、神との和解を確立してくださった上に、主の聖さにあずかる者としてくださったのでした。ヘブル人への手紙10章22節が「私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」というお勧めに従って、いつも主信頼して生きようではありませんか。