神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。(ペテロの手紙第二1章2節)

1.ヨハネの福音書1章14節ー18節
2.ヨハネの福音書14章22節ー27節
3.エペソ人への手紙2章1節ー9節
4.ペテロの手紙第一1章1節ー9節

ペテロは、イエス様と三年ほど寝食をともにし、多くの奇蹟を見、イエス様の教えを直接聞いていたのですから、イエス様のことをよく知っていたはずなのに、イエス様が捕らえられると、人を恐れてイエス様のことを三度知らない、と言ってしまったのでしたが、死からよみがえられたイエス様にお会いしたことによって神がどのような方であるのかを知ることになったのでした。キリスト者も、神とイエス様がどのような方であるかを知っていますが、ペテロのように恐れが襲ってくると心が騒いでしまうような状態に陥ってしまうのではないでしょうか。ペテロは「神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。」と、恵みと平安がますます豊かになる秘訣は神と主イエス様を知ること、と語っています。パウロのすべての書簡にも「私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。」という挨拶が書かれていますし、コロサイにいる聖徒たちには「この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それを本当に理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。(コロサイ人への手紙1章6節)」と、恵みを本当に理解すると、福音宣教の働きのための勢いが与えられることを語っています。パウロにしてもペテロにしても「恵み」と「平安」という順序で書かれているのは、恵みによって救われることによってこの世が与えることのできない主の平安を得ることができるからではないでしょうか。実生活において恵みと平安がますます豊かになるために、「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。(コリント人への手紙第二13章13節)」という毎日曜日の祝祷を心に据えて、神とイエス様がどのような方であるかを忘れずに生活しようではありませんか。