イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネの福音書8章12節)

1.ヨハネの福音書1章1節ー5節
2.ヨハネの福音書3章16節ー21節
3.使徒の働き26章7節ー20節
4.エペソ人への手紙2章1節ー10節

善悪の知識の木から取って食べるのを神が禁じた理由は死ぬからではなく、それを食べたその時、あなたがたの目が開け、神のようになり善悪を知るようになることを神は知っているから、と自分こそ本当の理由を知っているかのように偽りをもって神の警告を直接聞いていなかったエバが罪を犯すように誘惑したサタンは(創世記3章1節ー5節)、光の御使に変装し(コリント人への手紙第二11章14節)、この世の神として君臨して神の形であるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているために(コリント人への手紙第二4章3節―4節)、世の人々は彼の支配下にあって、不滅の神の御栄を、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えて、造り主の代わり造られた物を拝むようなことをしているために、やみの中を歩んでいることに気がつかないのではないでしょうか(ローマ人への手紙1章22節ー23節)。ヨハネは「私たちは神からの者であり、世全体は悪い者の支配下にあることを知っています。しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。(ヨハネの手紙第一5章19節―21節)」と勧めています。イエス様は世の光にとしてこの世に来られました。光は、見えなかったものを見えるようにする力があります。イエス様は「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。(ヨハネの福音書10章10節)」と仰せられました。今日の聖句が、箴言3章6節が「あなたの行くところどこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」と勧めているように、世の光であり、信仰の完成者であるイエス様をどんなときにも認めて光の中に生きようではありませんか。