怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。(エペソ人への手紙4章26節―27節)

1.箴言12章15節ー16節
2.使徒の働き26章9節ー19節
3.ガラテヤ人への手紙5章16節ー24節
4.ヤコブの手紙1章9節ー20節

今日の聖句は「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。」と、怒るようなことがあっても、怒りに支配されないように警告していますが、その理由を、そうしないと悪魔に機会を与えてしまうことになってしまうことを語っています。悪魔の目的は神の警告を直接聞いていなかったエバを媒体として神の警告を直接聞いていたアダムが罪を犯すようにすることでした。主がアベルとアベルのささげ物に目を留められたのに、自分と自分のささげ物に目を留められなかったので、ひどく怒り顔を伏せたカインに主は「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。あなたが正しく行ったのであれは、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行ってないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋したっている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」と警告されましたが、彼はアベルを殺害してしまったのでした。サウルはダビデを非常に愛していたのにもかかわらず女性たちが「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」と歌ったのを聞いて非常に怒り、ダビデを殺害することが人生の目的になってしまったのでした。ヤコブの手紙1章20節が「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」と語っているように、人の怒りは自分の義、プライドという自己中心さから来るものであり、肉の思いに支配されて肉の行いに走ってしまい十字架で示された神の愛を忘れ、悪魔が喜ぶような罪を犯してしまうのではないでしょうか。悪魔の策略に陥らないように、愚かな者、すなわち神を知らない人のようにならないために、怒っても主がすべてをご存知であることを思い起こすとともに、主に心のうちを正直に申しあげ、主の前に静まって主からの平安をいただこうではありませんか。