民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。(詩篇62篇8節)

1.サムエル記第一12節―18
2.哀歌322節―41
3.ローマ人への手紙818節―28
4.エペソ人の手紙6章10節―18節

王はサウルであるにもかかわらず、「サウルは千人を打ち、ダビデは万を打った。」と女性たちが笑いながらくり返し歌ったために、、サウルは「ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ。」と非常に怒り、不満に思ってその日以来ダビデを疑いの目で見るようになり、ダビデを壁に突き刺そうと槍を二度投げつけるようなことをしたので、ダビデは自分の考えでイスラエルの敵であるペリシテ人の地に二度逃げ込むようなことをしたのでした。二度目にはペリシテ人のアキシ王の信頼を得るようなことをして、彼は神の御前に出て祈ることを忘れたかのような生き方をしたのですが、ツイグラグに帰還してみると町が焼かれ、家族が連れ去られていたために、部下たちはダビデを石で打ち殺そうと言い出したのでした。そのような窮地に陥ったダビデは主に立ち返り、「あの略奪隊を追うべきでしょうか。」と主に伺ったので、主は「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」と約束してくださったのでした。ダビデと部下が、主の約束を信じて行動すると、彼らの家族だけでなく、奪われたものを全部取り戻したのでした(サムエル記第一27章1節―12節及び29章 1節―30章19節)。心に不安や思い煩い、恐れが生じた時、主は私たちの心を知っておられることを自覚し、「民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。」と、勧めているようにことばをもって祈れる時には心のうちを正直にすべて主に申し上げ、ことばで祈ることができないような時にはうめきをもって主を仰ぎ見て、神がなさることのなかには私たちには理解できないようなことがあることとすべてのことを美しくされる神の時があることを忘れずに(伝道者の書3章11節)、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくだることを知っています。」と告白しているパウロのようにどんなことも益としてくだるのが私たちの神であることを思い起こし、主からの平安をいただこうではありませんか。