私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。(コリント人への手紙第二3章18節)
1.イザヤ書43章1節―7節
2.ヨハネの福音書14章22節ー27節
3.ピリピ人への手紙3章17節―21節
4.ペテロの手紙第一5章7節―10節
毎日オリンピックが放映され、努力がむくわれて栄光のメダルを獲得されて喜んでおられる方がおられる一方、コロナに感染された方やメダルが期待されていたにもかかわらず予選落ち、という思いもよらない結果に驚かされますが、ソロモンは「私は再び、日の下を見たが、競争は足の早い人のものではなく、戦いは勇士のものではなく、またパンは知恵ある人のものではなく、愛顧は知識のある人のものではないことがわかった。すべての人が時と機会に出会うからだ。(伝道者の書9章11節)」と、「日の下」、すなわちこの世では何が起こるか予測できない不確かさを語っています。一方今日の聖句は「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです」と、御霊によって新しく生まれてキリスト者となった(ヨハネの福音書3章 5節―6節)すべての人に栄光が与えられいることを、しかも、栄光に満ちておられる主との関係の中でその人生はスタートするので、栄光から始まり、栄光の道を歩むことを語っています。色々なことを経験する中、ヘブル人への手紙12章2節―3節のみことばが勧めているように、心が元気を失ったり、疲れ果ててしまったりすることのないように信仰の創始者であり完成者であるイエス様のことを考えて心を主に向け、死に勝利されたいのちが与えられていることを感謝し、恐れに満ちているコロナ禍の中にあっても、この世が与えることのできない主の平安をいただいて、ちょうど太陽の光を反映させて光を放つ月のように、世の光として主の栄光を反映させながら生きることができるように御霊なる主に導いていただこうではありませんか。