もしキリストがよみがえらなかったのなら、なたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。(コリント人への手紙第一15章17節)

1.ローマ人への手紙414節―25
2.ローマ人への手紙617節―23
3.コリント人への手紙第一1550-57
4.ヘブル人への手紙10章1節―18節

ローマ人への手紙1章20節―23節が「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。」と語っているように、人の知恵や世全体を支配しているサタンの働きによって世界中に数えきれないほどの神々が、宗教がありますが、どのような宗教であっても罪や死の解決を与えることはできません。なぜなら、死は罪によってもたらされたものであり、すべての人はこの世を去るまで罪を積み重ねていくからです。しかも、その死は肉体の死だけでなく、永遠の死、永遠に地獄で生き続けることをも意味することを人は知っているので、死を恐るのではないでしょうか。イエス様は死の力を持つ悪魔と死に勝利するために来られ、よみがえりをもって悪魔と死に勝利されたのでした(ヘブル人への手紙2章14節―16節)。この世には多くの教祖がいましたし、今もこれからも出て来ると思いますが、彼らは人であって人としてこの世に遣わされたイエス様と違ってよみがえることはできません。ですから、この世の宗教はむなしい哲学の領域を超えることができないために、すべての人は死の恐怖のから逃れられないのではないでしょうか。今日の聖句「もしキリストがよみがえらなかったのなら、なたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。」を心に据えて、復活信仰に生きようではありませんか。