すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。(エペソ人への手紙6章18節―19節)

1.ルカの福音書181節―8
2.テサロニケへの手紙第一5章17節ー18節
3.テモテへの手紙第一21節―7
4.ヨハネの手紙第一514節―17

イエス様は聖霊が下る前にも、汚れた霊どもを制する権威をさずけて二人ずつ遣わされたのですが、その時には「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤの町に入ってはいけません。イスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい。」と仰せられたのですが(マタイの福音書10章1節及び5節−6節、マルコの福音書6章7節)、十字架にかけられる前には何度も助け主である聖霊について語られただけでなく、昇天される前も聖霊について語られ、「あなたがたは、高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい(ルカの福音書24章49節)。聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。(使徒の働き1章8節)」と、祈り待ち望むことと、聖霊の力を受けたなら、宣教の働きが世界に及ぶことを約束されたのでした。パウロは「私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。(コリント人への手紙第一2章4節−5節)」と語っています。御霊は神のみこころを教えてくださいますし(コリント人への手紙第一2章11節)、聖霊に満たされたペテロが人を恐れずはっきりと福音を語ったように、大胆さを与えてくださいます。パウロは「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。」と、主は必ず主の時に祈りの答えを与えてくださることを心に据えて、牧師、伝道者が大胆に福音を語ることができるように、すべてのキリスト者が大胆に主を証するために、パウロが願っているように聖霊の力に満たされ続けられるように、日本のリバイバルのために忍耐の限りを尽くして祈ろうではありませんか。