神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。というのは、私たちをご自分の栄光と徳とによってお召になった方を知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを与えるからです。(ペテロの手紙第二1章2節―3節)

1.コリント人への手紙第一21 節―5
2.エペソ人への手紙117節―23
3.ピリピ人への手紙32節―15
4.テモテへの手紙第二2章1節―8節

イエス様が「あなたがたは、わたしをだれと言いますか。」と尋ねられると、ペテロは「あなたは、生ける神の御子キリストです。」と答えたのですが、イエス様は彼に「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。」と仰せられたのでした。ペテロをはじめ弟子たちはイエス様と約三年半寝食をともにし、多くの奇蹟や教えを受け、イエス様がどのような方であるかを知っていたはずですが、捕らえられたイエス様の後を遠く離れてついて行ったペテロは、イエス様が預言されたように、鶏が鳴くまでに三度イエス様のことを知らないと言ったのですが、死からよみがえられたイエス様はペテロをはじめ弟子たちにご自身を現され、「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」と仰せられて彼らの見ている間に昇天されたのでした(使徒の働き1章8節−9節)。聖霊に満たされたペテロは「神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。」と祈っておられますが、その理由を「というのは、私たちをご自分の栄光と徳とによってお召になった方を知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを与えるからです。」と語っています。パウロは召された者にとってキリストは神の力、神の知恵であることを(コリント人への手紙第一1章24節)、キリスト者は永遠のいのちを持っていることをよくわかってほしいという願いをヨハネは語っています(ヨハネの手紙第一5章12節―13節)。イエス様によって神がどのような方であるかを知ることができたのは主の恵みであることを、敬虔に生きることができるように、どんなときにも主がどのような方であるかを思い起こし、主を信頼してこの世が与えることのできない平安をいただいて生活しようではありませんか。