私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。(詩篇34篇1節)

1.詩篇631節―8
2.ダニエル書424節―37
3.ローマ人への手紙158節―13
4.ヘブル人への手紙13章14節―15節

イエス様は、過越の食事をしている時、パンを取って祝福してから裂いて「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」と、杯をとって感謝をささげてから「みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」と弟子たちに仰せられ、十字架の死について語られながらも、驚くべきことに賛美の歌を歌ってからゲッセマネの園に向かい(マタイの福音書26章26節―32節)、園に着くと「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。(マルコの福音書14章36節)」と仰せられ父から与えられた使命を果たされたのでした。今日の聖句「私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。」は、女性たちが「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」と歌ったために、ダビデはサウル王からねたまれていのちをねらわれるようになったために、逃亡生活を余儀なくされたのですが、主がいつも守られたことを忘れて自分の考えで行動して窮地に陥ったり、罪を犯したりしましたが、主に立ち返ると恵みをもって必ず救いの手をのべてくださることを、解決は主にしかないことを体験されたダビデのことばです。ヘブル人への手紙13章15節―16節が「私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。」と勧めています。「いけにえ」は苦しみを伴うだけでなくいのちをささげるもので、イエス様はなだめの供え物としてご自身をささげられました。私たちを救うために苦しまれただけでなく、ご自身を捧げられたキリストのことをいつも思うとともに(テモテへの手紙第二2章8節)、ダビデのようにどんな時にも罪人を救うためにイエス様をお遣わしになられた神をほめたたえるようにしようではありませんか。