そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。(テモテへの手紙第一2章1節)

1.ヨブ記421節―10
2.ローマ人への手紙8章32節ー34節
3.ヘブル人への手紙7章19節ー26節
4.ペテロの手紙第一29節―12

ペテロは「あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。(ペテロの手紙第一2章9節)」とキリスト者はイスラエルの民と同じ立場だけでなく、旧約聖書の時代には聖霊は王、預言者、祭司など主が選ばれた器に当れられていましたが、五殉節(ペンテコステ)に聖霊が下り、イエス様を信じるすべての者に聖霊が与えられているので、すべてのキリスト者には祭司の役目が与えられていることを語っています。モーセはイスラエルの民は地上のすべての民と異なっていることを自覚しておられましたが(出エジプト記33章16節)、イスラエルの長老たちは「ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」とサムエルに言ったのでした。やがて彼らが「あなたのしもべどものために、あなたの神、主に祈り、私たちが死なないようにしてください。私たちのあらゆる罪の上に、王を求めるという悪を加えたからです。」とサムエルにとりなしを願うと、サムエルは「まことに主は、ご自分の偉大な御名のためにご自分の民を捨て去らない。主はあえて、あなたがたをご自分の民とされるからだ。私もまた、あなたがたのために祈るのをやめて主に罪を犯すことなど、とてもできない。」と言われました。パウロは「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。」と勧めてから、その理由について「それは、私たちが敬虔に、また威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。」と語っています。ミカ書6章9節には「聞け。主が町に向かって叫ばれる。―御名を恐れることがすぐれた知性だー聞け。部族、町を治める者」と、詩篇33篇12節は「幸いなことよ。主をおのれの神とする、その国は。神が、ご自身のものとしてお選びになった、その民は。」と語っています。主が私たちのためにとりなしていてくださること、私たちの祈りをお聞きくださることを感謝するとともに、教職者や兄弟姉妹のためだけでなく、日本が幸いな国となるように、日本国民はじめ、管総理はじめ政財界、教育界、医学界の指導者たちの救いのためにとりなして祈ろうではありませんか。