主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのではなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを(エレミヤ書10章23節)

1.詩篇3718節―24
2.イザヤ書463節―4
3.ヨハネの福音書10章11節ー16節
4.エペソ人への手紙13節―14

人はとかく自分のことは自分が一番よく知っており、自分の道は自分で開くものであり、自分の思い通りにことが運べば幸せと考えがちですが、イエス様が「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。(マタイの福音書6章27節)」と、また豊作にあずかった金持ちが自分に「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」と言ったところ「神は『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。(ルカの福音書12章15節―21節)」と、たとえ話をもって話されたように、どんなに医学が進んでも、人はいつかこの世を去らなければならいもので、地上のことだけにとらわれてしまうと、神の恵みによって生かされていることがわからずに自分で生きているような思い違いをしてしまうのではないでしょうか。今日の聖句「主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのではなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを」は、イスラエルが霊的に堕落し、偽預言者が台頭した時代に主から聖別された預言者とされ真理を語ったにもかかわらず迫害にあったエレミヤのことばです。自分の思いでさまざまな問題や禍をもたらすようなことをして窮地に立たされましたが、その都度、主に立ち返ると常に主が解決を与えられたことを経験したダビデも「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます(詩篇23篇1節―3節)。幸なことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、その霊にあざむきのない人は(詩篇32篇1節―2節)」と語っています。今日の聖句が語っているように、幸いな人生は神との関係によって築き上げられるものであることを知っていることこそ何よりも幸いなことであることを心に留め、主を信頼して生きようではありませんか。