私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害していたからです。しところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。(コリント人への手紙第一15章9節―10節)

1.ヨハネの福音書114節―17
2.ローマ人への手紙520節―611
3.コリント人への手紙第二61節―10
4.コロサイ人への手紙1章3節ー14節

聖霊はイエス様を信じる者に与えられるために(ヨハネの福音書7章39節)パウロはパリサイ人として生きていた時には聖霊を持たず、律法による自分の義に生きキリスト者を迫害していましたが、キリスト者を迫害するために向かっていたダマスコへの途上でイエス様から声をかけられ、主から遣わされたアナニヤによって目がいやされただけでなく、聖霊に満たされキリスト者となった彼は「私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害していたからです。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。」と、恵みを知る者となり主から与えられた使命、すなわち福音宣教のために一生をささげられたのですが、その働きの原動力は神の恵みであることを告白しています。ですから、彼はコロサイの聖徒たちに「この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それを本当に理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。(コロサイ人への手紙1章6節)」と、恵みを本当に理解することがどれほどの力を発揮するかを語っています。パウロは今日の聖句で「神の恵みは、むだにならず」と語っておられるので、「恵みをむだにする」生き方を少し考えてみました。恵みを無駄にする、ということは恵み以外の世界、すなわちこの世と調子を合わせて、この世の人々のように自分の考えや思いにとらわれて神をないがしろにすることではないでしょうか。パウロは「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなこともできるのです。(ピリピ人への手紙4章13節)」と、恵みとまことを実現してくださったキリストが強くしてくださるのでどんなこともできる、と語るとともに、テモテに「わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。」と、強くなる秘訣はキリスト・イエスにある恵みにかかっていることを語っています。心が元気を失ったり、疲れ果ててしまわないように、恵みによって救われていることを、恵みを実現されるためにイエス様がどれほど苦しまれたかを心に据えて(ヘブル人への手紙12章2節-3節)、恵みをむだにしないようにキリストに属する者として生きようではありませんか。