正しい者の口は知恵を語り、その舌は公義を告げる。心に神のみおしえがあり、彼の歩みはよろけない。(詩篇37篇30節-31節)

1.ヨシュア記1章2節ー9節
2.マタイの福音書1233節―37
3.コリント人への手紙第一2章1節ー12節
4.ヤコブの手紙3章13節ー17節

悪霊につかれて目も見えず、口もきけなかった人をいやされたイエス様のことを「この人は、ただ悪霊どものかしらベルゼブルの力で、悪霊どもを追い出しているだけだ。」と言ったパリサイ人に、イエス様は「木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木のよしあしはその実によって知られるからです。まむしのすえたち。おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。心に満ちていることを口が話すのです。(マタイの福音書12章22節―24節及び33節―34節)」と、良いことを言うためにはイエス様との関係が不可欠であることを語っています。生まれながらの人間は世全体を支配している悪魔の影響下、すなわち悪い木につながっている上に、自分の肉と欲の中に生き、肉と心の望むままをおこなうような生き方をしているからではないでしょうか(エペソ人への手紙2章2節―3節)。パウロが「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。・・・私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、私のからだの中にはことなった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。」と心の葛藤を語っているように、キリスト者は心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられて(ヘブル人への手紙10章22節)、正しい者とされているにもかかわらず、肉の思いに支配されるとヤコブの手紙3章9節―10節が「私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。」と語っているような状態が起きてしまうのではないでしょうか。今日の聖句「正しい者の口は知恵を語り、その舌は公義を告げる。心に神のみおしえがあり、彼の歩みはよろけない。」は私たちの歩みがよろけないための秘訣を語っています。主はヨシュアに律法、すなわち神のことばを口から離さず、昼も夜も口ずさむこととみことばで生きることを、「強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともいあるからである。」と仰せられました。今、心に植えつけられているみことばをすなおに受け入れてヨシュアのようにみことばで生きようではありませんか(ヤコブの手紙1章21節)。