私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。(ローマ人への手紙12章3節)

1.マルコの福音書933節―35
2.コリント人への手紙第一3章1節ー7節
3.テモテへの手紙第二63節―6
4.ヘブル人への手紙122節ー11

キリスト者となったパウロは、罪や死、神の怒りから救われたのは、恵みとまことを実現されたイエス様のゆえであり、神様からのプレゼントであることを語るとともに(ローマ人への手紙5章9節、エペソ人への手紙2章1節―9節)「私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちおよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。(コリント人への手紙第一15章9節―10節)」と、もはや自分を誇るような者ではなく、恵みに生きる者となり「世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」と警告してから、「私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。」と、謙遜に生きることを勧めています。世の人々は他者と自分を比較して優越感や劣等感を味わうような生き方をしておられるのではないでしょうか。オリンピックで何度か銀メダルを獲得された水泳選手が、金でなければ意味がないようなことを言われたのを聞いて、一生懸命努力したにもかかわらずオリンピック選手に選ばれていない人や予選落ちして決勝に進めない人々のことなど考えずに思い上がっておられるように思いましたが、みことばが主は高ぶる者を低くされる、と語っているように、彼は金メダルどころか四位で終わられました。聖霊の力に満たされる前、福音書の弟子たちはだれが一番偉いかなどと議論しました。キリスト者ひとりひとりの信仰を成長させ、完成させてくださるのはイエス様であることを心にしっかりと据えて、恵をむだにしないために人と比較するような信仰生活をしないようにしようではありませんか。