いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。(詩篇369節)

1.イザヤ書551節―3
2.ヨハネの福音書413節―14
3.ヨハネの福音書737節―39

人は肉体の死をむかえない限り生きていると思いがちですが、パウロはキリスト者になる前は、生きていても自分の罪過と罪との中に死んでいる状態であることを語っています(エペソ人への手紙2章1節)が、そのような状態を招くにことになったのは、蛇に化身した悪魔がエバを誘惑して神が禁じた善悪の知識の木から取って食べたことによるのですが、ヤコブの手紙1章14節―16節は「だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると、死を生みます。愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。」と、欲の問題を語るとともに、世全体を支配しているサタン(悪魔)は光の御使に変装しますので(コリント人への手紙第二11章14節)、悪魔にだまされないように警告しています。ところで、ヨハネの福音書1章1節―5節は「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできた、ものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」と、イエス様のことを「ことば」、「神」、「光」「いのち」と表現されただけでなく、やみに勝利されたことを語っています。イエス様は悪魔の試みに会いましたが、みことばをもって対処されただけでなく、死からよみがえられたことによって悪魔の最大の武器であった死にも勝利されたのでした。イエス様は「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。(ヨハネの福音書10章10節)」と、豊かないのちはイエス様によって与えられることを、また「わたしを信じる者は、聖書がいっているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」と話されましたが、それはイエス様を信じる者に与えられる御霊であることをヨハネの福音書7章38節―39節は語っています。心の飢え渇きを覚えるとき、今日の聖句「いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。」を思い起こして、どんな状況にあっても心が元気を失い、疲れ果ててしまわないために(ヘブル人への手紙12章2節ー3節)、やみの力に勝利されたイエス様を、私たちのいのちの光である主を仰ぎ見て生きようではありませんか。