どうか、平和の主ご自身が、どんな場合にも、いつも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。どうか、主があなたがたすべてと、ともにおられますように。(テサロニケへの手紙第二3 章16節)

1.ローマ人への手紙425節―511
2.エペソ人への手紙214節―17
3.ピリピ人への手紙46節−7
4.ヘブル人への手紙122節―11

パウロはテサロニケへの手紙3章1節―15節において信仰を持っていない人々やキリスト者がどのように生きるべきかを助言してから「どうか、平和の主ご自身が、どんな場合にも、いつも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。どうか、主があなたがたすべてと、ともにおられますように。」と平和な人間関係を築くためには平和の君である主ご自身のお働きによるものであることとともに、イエスは弟子たちに「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません(ヨハネの福音書14章18節)」と、また、昇天される前に「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。(マタイの福音書28章18節―20節)」と約束されたことから、イエス様はすべてのキリスト者とともにおられるはずですが、パウロは「どうか、主があなたがたすべてと、ともにおられますように。」と祈っていますが、それは、パウロが「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしてなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」と勧めているように、キリスト者がお互いに非難するような生き方をして、聖霊を悲しませるような、御霊を消すような生き方をせずに、十字架にかけられたイエス様のことをいつも思って生きるように願い、祈っていることにほかならないのではないでしょうか。どんなときにも、いつも信仰の完成者であるイエス様を仰ぎ見て、すべてのキリスト者の心に主が内住しておられ、とりなして祈っておられることを心に据えて、主の平和で心を満たしていただこうではありませんか。