志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。(イザヤ書26章3節)

1.箴言3章3節ー7節
2.ヨハネの福音書1427
3.ヨハネの福音書16章24節ー33節
4.ピリピ人への手紙213節―16

イエス様は「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネの福音書14章27節)」と、この世が与える平安があることを示唆するとともに、この世が与える平安とは異なる平安を与えてくださることを約束されてから、心を騒がせたり恐れたりしないように助言されました。確かにこの世が与えることのできる平安は、自分の考えや自分の思いが満たされているようなときに与えられるものであり、想像力を活用して明日や将来に関することを予測したり、予想したりすることはできても、いつもその通りにことが運ぶという保証がないために、否定的な思いを抱くと、心が騒いで、今あったはずの平安が一瞬のうちに消えて、心が恐れに満ちてしまうようなもろいものではないでしょうか。しかし、今日の聖句は「志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。」と、全き平安のうちに守られる志が堅固な者とは、主に信頼している人であることを語っています。ところで、「全き平安」はヘブル語では「シャローム、シャローム。」と二度同じことばが使われていますが、同じことばが二度繰り返して使われる場合、それは満ちている状態を表すために日本語は「全き平安」と、英語は「perfect peace (完全な平安)」と訳しています。状況に左右されるようなものではないことを意味するのではないでしょうか。パウロは自分の思いや考えに支配されず、全き平安で守られるためにの秘訣を「何も思い煩わないで、あらゆる場合に感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ人への手紙4章6節ー7節)」と語ってますが、それこそ志の堅固な者として生きる道なのではないでしょうか。結果は主が出してくださるという信仰に立って、すべてを益としてくださる主を信頼し、主からの全き平安をいただこうではありませんか。