あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。(ローマ人への手紙8章15節)

1.ヨハネの福音書19節―17
2.ヨハネの福音書737節―39
3.ローマ人への手紙425節―55
4.コリント人への手紙第一27節―12

主はダビデに「あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確率させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは、その王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼らを懲らしめる。しかし、わたしは、あなたの前からサウルを取り除いて、わたしの恵みをサウルから取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。(サムエル記第二7章12節―15節)」と、ダビデの子孫と神との関係は親子関係になることを、恵み(英語訳:神の愛)がなくなることはないことを約束されましたが、それを可能にするために神は御子イエス様を人としてこの世にお遣わししになり、十字架によって神との和解を、神の愛を示されただけでなく、御子を死者の中からよみがえらせて死に勝利するいのちをも明らかにされ、生ける希望を、御霊を与えてくださったのでした。福音書の弟子たちは御霊がまだ注がれていなかったので(ヨハネの福音書7章39節)、ペテロが「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」と言うと、他の弟子たちもみなそう言ったにもかかわらず、人を恐れ、ペテロは三度イエス様を知らないというようなことをしたのですが、よみがえられた主にお会いして生ける希望を持っただけでなく、五殉節(ペンテコステ)に聖霊が下り、聖霊の力に満たされたペテロは人を恐れず、他の弟子たちとともに立って十字架と復活を大胆に語ったのでした。ヨハネの手紙第一4章18節は「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。」と語っていますが、全き愛、すなわち私たちの主キリスト・イエスにある神の愛は聖霊によってキリスト者の心に注がれていること、神の恵みや愛は決して取り去られることがない事を心に据えて、恐れが襲ってくるような時、今日の聖句が「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父』と呼びます。」と語っているように「アバ、父」と主を見上げ、主ご自身に心のうちをすべて打ち明けてお委ねし、主の平安をいただいて心と思いを守っていただこうではありませんか。