あなたを贖う主、イスラエルの聖なる方はこう仰せられる「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。」(イザヤ書48章17節)

1.詩篇328節―11
2.イザヤ書3015節―24
3.イザヤ書498節―12
4.ローマ人への手紙8章27節ー39節

人は自分にとって何が益となるのかを求めながらさまざまなことを決断しながら生きていますが、そのような決断は結果を知ってではなく自分の想像力や可能性を想定して下しているのではないでしょうか。箴言27章1節は「あすのことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないだ。」と、人は明日どころか、今日一日のうちに何が起こるかを知らずに生きていることを語っています。ヤコブはさまざまな国に離散しているユダヤ人のクリスチャンたちに「聞きなさい。『きょうか、あす、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をして、もうけよう』と言う人たち。あなたがたは、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、しばらくの間、現れて、それから消えてしまう霧にすぎません。むしろ、あなたがたはこう言うべきです。主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう』(ヤコブの手紙4章13節―15節)」と、この世で生きているあいだ、主のことを考慮して行動するように勧めています。イエス様は「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう(2017訳:失ったら何の益があるでしょうか)そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいのでしょう。(マタイの福音書16章26節)」と語っています。パウロはイエス様を信じる前は、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行っていたことを告白しています(エペソ人への手紙2章3節)。主は人の益となることを教えてくださるだけでなく、日々お導きくださる方であることを語っています。イエス様は悔い改めて神を信じて生活することを、助け主である聖霊がすべてのことを教えてくださりお導きくださることを教えてくださいました。パウロはキリスト者になって神はすべてのことを働かせて益としてくださる方であることを知ったのでした。今日の聖句「あなたを贖う主、イスラエルの聖なる方はこう仰せられる「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。」を心に据えて、どんなできごとも益としてくださる主を信頼して信仰の歩みを続けようではありませんか。