主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。(詩篇136篇1節)

1.歴代誌第一1623節―41
2.ヨハネの福音書114節―17
3.ローマ人への手紙517節―21
4.エペソ人への手紙2章1節―9節

人は神の存在を知っていながら、パウロが「彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と変えてしまいました。(ローマ人への手紙1章20節―23節)」と語っているように、神は目にみえないために偶像を作ってそれを神とするようなことをし続けていますが、不思議なことに、主が紅海を二つに分けられ民が無事対岸に着くと、海水をもとに戻してエジプト軍をひとり残らず溺死させたのを見て、民は主を誉めたたえたにも関わらず(出エジプト記15章1節ー18節)、モーセが山から降りて来るのに手間取っているのを見て、民がアロンに「さあ、私たちに先立って行く神を、造ってください。私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者が、どうなったのか、私たちにはわからないから。」と言ったのでアロンは彼らの金のイヤリングを集めてとかし、金の子牛を造って「イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ。」などと言って偶像崇拝をしたことによって3000人が亡くなってしまったのでした(出エジプト記32章1節ー28節)。彼らたちは紅海を渡ることができたのは主のわざであったのを忘れてしまったのでした。大軍が攻めてくることを知ったヨシャパテが「私たちとしては、どうすればよいのかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。」と主に申し上げると、主はおびただしい大軍のゆえに恐れはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから。」と励まされたのでした。出陣にさいして「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」と彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、主は伏兵を設けて、残党はどう仕打ちをするようにされ、戦うことなく勝利を与えたのでした。罪や死、世全体を支配している悪魔の支配から解放される道は、イエス様が「わたしが道であり、真理であり。いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネの福音書14章6節)」と仰せられたようにひとつしかありません。しかもそれは恵みによるものであることをパウロは語っています(エペソ人への手紙2章1節−9節)。さまざまな問題や試練が臨んだ時、ヘブル人への手紙13章14節―15節が「私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。」と勧めているように、ヨシャパテのように恐れたり、気落ちしたりしたときにこそ、恵みによって救われていること、永遠のいのちが与えられていることを思い起し、喜びをもって今日の聖句「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」を告白しようではありませんか。