神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いざわにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。「この人は、散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる。」と書いてあるとおりです。(コリント人への手紙 第二9章8節―9節)

1.ローマ人への手紙3章23節―26
2.ローマ人への手紙517節―21
3.コリント人への手紙第二81節―15
4.エペソ人への手紙21節―10

パウロはコリントの教会の聖徒たちに「さて、兄弟たち。マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。苦しみのゆえに激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。私はあかしします。彼らは自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささげ、聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと、熱心に私たちに願ったのです。」と語ってから、「あなたがたは、すべてのことに、すなわち、信仰にも、ことばにも、知識にも、あらゆる熱心にも、私たちから出てあなたがたの間にある愛にも富んでいるように、この恵みのわざにも富むようになってください。」と、勧めていますが、それは命令ではないこと(コリント人への手紙第二8章1節―8節)、献金は惜しみながらでなく、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心できめたとおりにするように勧めていますが、その理由として「神は喜んで与える人を愛してくださいます。」と語るとともに「神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いざわにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。『この人は、散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる。』と書いてあるとおりです。」と、神がどのような方であるかを、恵みがどのように成就したかを考慮するように勧めているのではないでしょうか。一昨年、伊香保温泉に宿泊したときちょうど紅葉の時期だったので、主人は紅葉を写真に収めるために散策しているうちに神社の前を通った時、手を合わせて祈った幼稚園生くらいの小さな子供に母親が「何をお願いしたの」と尋ねると、「金持ちになるようにお願いした。」と答えたそうです。パウロは「金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。(テモテへの手紙第一6章9節―10節)」と、キリスト者が留意すべき点について語っています。私たちが義と認められるためにどれほどの犠牲がささげられたかを心に据えて、マケドニヤの聖徒たちのように捧げる恵みにもあずかる者となろうではありませんか。