またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。(ヨハネの福音書14章13節―14節)

1.ルカの福音書1017節―20
2.ヨハネの福音書1623節―26
3.使徒の働き19章11節―16節
4.ピリピパ人への手紙2章6節―11節

イエス様はご自身が行くつもりのすべての町や村へふたりずつ先に遣わされた七十人が喜んで帰って来て「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。(ルカの福音書10章1節及び17節)」と報告したように、主の御名の権威がどれほどのものであるかを語っています。イエス様が「わたしは、あなたが世から取り出してわたしに下さった人々に、あなたの御名を明らかにしました。(ヨハネの福音書17章6節)」と、父なる神に言われたように、キリスト者には主の御名によって祈ることができる特権が与えられているのです。民はサムエルに「今や、あなたはお年を召され、あなたの御子息たちは、あなたの道を歩みません。どうか今、ほかのすべての国民のように私たちをさばく王を立ててください。」と言ったので、サムエルが主に祈ると主は「この民があなたにお言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのである。」と仰せられましたが、主は民を見捨てずにサウルを王と与えたのでした。サムエルは民が主を忘れないように「今は小麦の刈り入れ時ではないか。だが私が主に呼び求めると、主は雷と雨とを下される。あなたは王を求めて、主のみこころを大いにそこなったことを悟り、心に留めなさい。」と言い、主に呼び求めると主は雷と雨とを下されたので、民は主とサムエルを恐れて「あなたのしもべどものために、あなたの神、主に祈り、私たちが死なないようにしてください。私たちのあらゆる罪の上に、王と求めるという悪を加えたからです。」とサムエルに言うと、サムエルは「主に従い、わきにそれず、心を尽くして主に仕えなさい。役にも立たず、救い出すこともできないむなしいものに従って、わきへそれてはならない。それはむなしいものだ。まことに主は、ご自分の偉大な御名のために、ご自分の民を捨て去らない。主はあえて、あなたがたをご自分の民とされるからだ。私もまた、あなたがたのために祈るのをやめて主に罪を犯すことなど、とてもできない。」と、主がどのような方であるかを語るとともに、祈ることをやめないことを約束されたのでした。キリスト者には祭司としての役目が与えられています(ペテロの手紙第一2章9節)。人々のためにとりなして祈ると同時に、今日の聖句「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」を心に留めて、「主の御名によって祈ります。」と祈りを閉じますが、祈る前に、主の御名がどれほどのことを意味するのか、神に栄光を帰すものであるかをまず考えてから、祈ろうではありませんか。