イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」(ヨハネの福音書11章25節―26節)

1.ヨハネの福音書31節―19
2.ヨハネの福音書519節―24
3.ヘブル人への手紙2章10節−18節
4.ペテロの手紙第一13節―9

東日本大震災が起きてから10年目を迎えていますが、今日は3月11日を覚えながら礼拝が捧げられる日曜日ではないかと思わされます。当時、「町が消える。町が消える。」と、現地のレポーターが声を震わせ大声で叫ぶ中、海水が大槌町を呑み込んでいく様子や川を海水が逆流していく様子など恐ろしい光景が次から次に放映される中、何か忘れ物をしたのか車で自宅に戻り、急いで物をもって車に戻り、車を走らせる女性の姿を見ながら、なんとか彼女が助かるように、ひとりでも多くの方が助かるように願うとともにイエス様に出会うことができるように祈らされました。イエス様はラザロが病気になったことを告げられても「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」と、仰せられ、すぐにラザロのもとに向かったのではなくかえって「もう一度ユダヤに行こう」と弟子たちに仰せられ、ベタニヤに着いた時、ラザロはすでに墓の中に入れられて四日もたっていたのでした。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょう。」と言ったマルタに、イエス様が「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」と、尋ねると、マルタは「はい。主よ、私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。」と申し上げましたが、主が墓の石を取りのけるように言われると「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日目になりますから。」と言ったので、イエス様は「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」と仰せられ、目を上げて父に祈りを捧げてから「ラザロよ。出て来なさい。」と大声で叫ばれたのでした。すると、布に巻かれていたラザロは墓から出て来たのでした。イエス様はあらゆる病をいやされた方でしたから、ラザロが病の時に訪れていれば病をいやされたでしょう。しかし、人はいやされても死から逃れることはできませんが、ラザロが生き返ったことによって「死」は神の力には、主には勝てないことを明らかにされたのでした。イエス様は死をもたらす罪を取り除いてくださっただけでなく、死の力を持つ悪魔に勝利してくださったのです。イエス様ご自身も死からよみがえられて神の栄光を現され、永遠のいのちを明らかにされ、生ける希望を、その保証として聖霊を与えてくださったのでした。永遠のいのちが与えられていることを感謝するとともに、ひとりでも多くの方が栄光に輝く福音を輝かせないようにしているこの世の神の力からひとりでも多くの方が解放され、イエス様に出会うことができますように祈ろうではありませんか。