わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。(ヨハネの福音書15章12節)

1.ヨハネの福音書1331−35
2 ガラテヤ人への手紙5章13節ー26節
3.ヨハネの手紙第一318節―23
4.ヨハネの手紙 第一4章7節―12節

イエス様は「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」と仰せられましたが、その戒めを守るためには、まず、第一に、イエス様がどのように弟子たちを愛されたかを知る必要があるのではないでしょうか。イエス様は神でありながらご自分を無にして、仕える者の姿をとられ、弟子たちの足を洗われたのですが、それは奴隷の仕事でした。イエス様はユダが裏切ることも、ペテロが三度イエス様を知らないというのも、弟子たちからも見放されることをご存じであったにもかかわらず(ヨハネの福音書16章29節―32節)、イエスさまは最後まで弟子たちを愛し通されたのでした(新改訳:世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。ヨハネの福音書13章1節)。その上、死からよみがえられたイエス様は弟子たちにご自身を現され、パンと魚を焼いて食事をご用意されておられたのでした(ヨハネの福音書21章9節)。イエス様に見られる愛は人が生まれながら持ち合わせているような質の愛でないことがわかります。イエス様が仰せられた「わたしがあなたがたを愛したように」も、「互いに愛し合いなさい。」も、ギリシャ語のアガパオ(神の愛)が使われています。私たちが互いに神の愛で愛し合うことを勧めていますが、イエス様は十字架にかけられる前に「わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあり、またわたしが彼らの中にいるためです。(ヨハネの福音書17章26節)と仰せられたようにキリスト者には神の愛が与えられているのですが、イエス様に見られる神の愛の特質は「赦し」ではないでしょうか。神の愛を体験したペテロは「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛(アガペ:神の愛)は多くの罪をおおうからです。(ペテロの手紙第一4章8節)」と勧めています。イエス様の戒めを守る秘訣はイエス様を愛しているかどうかにあることをイエス様は言われました(ヨハネの福音書14章15節)。赦すことが、愛することが難しく思われる時、主を愛しているかどうかが問われるのでないでしょうか。罪に定められないようにイエス様にとりなしていただいている身分であることを思い起こし、与えられている神の愛に生きられるように御霊に助けていただこうではありませんか(ローマ人への手紙5章5節)。