心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。(箴言3章5節―6節)
1.詩篇139篇1節―16節
2.イザヤ書55章6節―11節
3.ピリピ人への手紙4章6節ー7節
4.コロサイ人への手紙1章3節―12節
主はご自分の民であるイスラエル人がエジプトでしえたげられて苦悩しているのを見てモーセをエジプトに遣わされ、モーセを用いられ数々の奇蹟をもってご自身の力を現わされたのですが、前方には紅海、後方からはエジプト軍が迫って来るのを見た民は非常に恐れて主に向かって叫びましたが、主と主の約束を忘れて「エジプトには墓がないので、あなたは私たちを連れて来て、この荒野で、死なせるのですが。私たちをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということを私たちにしてくれたのですか。私たちがあなたに言ったことは、こうではありませんか。『私たちのことはかまわないで、私たちをエジプトに仕えさせてください。事実、エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも私たちには良かったのです。」などとモーセに言ったのですが、主は紅海を二つに分けられ対岸への道を開かれたのでした(出エジプト記14章10節―30節)。そのようなモーセでも約束の地がどのような地であり、どのような人が住んでいるかを主から知らされていたにもかかわらず、「私たちより先に人を遣わし、私たちのために、その地を探らせよう。私たちの上って行く道や、入って行く町々について、報告を持ち帰らせよう」という民の意見に同意したために主は族長を遣わすように助言されたので、各部族の族長12人を遣わしたのですが(民数記13章―14章、申命記1章22節)、その地について悪く言った者のことばを信じて、民は再びエジプトを懐かしみ、「エジプトで死んでいたらよかったのに、できれば、この荒野で死んだほうがましだ。」などと言い、「主にそむいてはならない」と助言したヨシュアとカレブを殺そうとしたのでした。民が肉が食べたいと食べ物のことで不満をもらすと、主がモーセに吐き気を催すほど1ヶ月間肉を与えることを告げたのですが、モーセは自分の考えでそれは不可能であるかのように主に申し上げたので、主は「主の手は短いのだろうか。わたしのことばが実現するかどうかは、今わかる。」と仰せられ、主は大量のうずらを与えられたのでした。今日の聖句が「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」と勧めているように、人や自分の考えで判断するのではなく、主がどんな偉大な方であるかを、主こそ結果をご存知であることを認めて主に拠り頼む、すなわち主を信頼して右往左往することなく、主からの平安をいただいて心と思いを守っていただき、約束の地、すなわち御国を目指して信仰の道を歩ませていただこうではありませんか。