主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。(歴代誌 第二16章9節)

1.詩篇1825節―33
2.詩篇2910節―11
3.コリント人への手紙 第一 2章11節ー16節
4.エペソ人への手紙116節―19

パウロはコリントの教会の聖徒たちには「ユダヤ人であってもギリシャ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。(コリント人への手紙 第一1章24節)」と語っていますが、エペソの教会の聖徒たちには「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召によって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、まら、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。(エペソ人への手紙1章17節―19節)」と、主との関係がますます深くなるとともに、主によって与えらているものがどんなにすばらしいものであるか、またキリスト者に働かれる神の力がどれほどのものかを知るように祈られました。キリスト者には恵みによって神から賜ったものを知るために御霊やキリストの心が与えられており、神の力と神の知恵であるイエス様を信じていますが、モーセは驚くほどの奇蹟を体験していながら、民が「肉が食べたい。エジプトでは良かった」とつぶやくのを聞いた主が、鼻から出て来て、吐き気を催すほど肉を与えることをとモーセに話すと、モーセは、それは不可能でしょうと言わんばかりのことを主に申し上げたように(民数記11章4節―22節)、主の力や聖霊の宮であること忘れて、自分の考えや肉の思いで行動し、恐れや問題の中で苦悩して力を失ってしまうようなことがあるのではないでしょうか。そのような時、今日の聖句「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」を思い起こして、イスラエルの民が経験したような奇蹟を体験していなくても、信仰の創始者であり完成者であるイエス様を見上げるなら、御霊のお働きによって主から賜ったものがどれほどのものなのかを思い起こし、主と心が一つになり、主から新しい力をいただくことができるのではないでしょうか。