みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。(ヤコブの手紙1章21節)

1.出エジプト記1522節―26
2.サムエル記 第一 301節―20
3.マルコの福音書92節―7
4.ヨハネの手紙 第一5章1節ー4節

主はサムエルを遣わしてサウルにアマレク人と彼らの家畜をすべて聖絶するように命じたにもかかわらず、民とサウルは王と肥えた羊や牛の最も良い物、子羊とすべての最も良いものを惜しんで、つまらない、値打ちのないものだけを聖絶したにもかかわらず、「私は主の御声に聞き従いました。」と言い、家畜をすべて殺さなかったのは主にいけにをささげるためであると説明しましたが、サムエルは「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」と告げたのでした(サムエル記 第一15章17節―22節)。サウルの問題は 「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従でいないのです。(ローマ人への手紙8章6節―7節)」と語っているように肉の思いに生きたことにあるのではないでしょうか。ダビデとサウルの違いは、神との関係にありました。サウルはみことばに従わなかったことを素直に認めて悔い改めるよりも、まず、言い訳をし、言い訳が功を制しないと自分の非を認めましたが、神に真摯に向き合うことをしなかったのでしたが、ダビデは神がサウル王の次の王として油を注がれ、ダビデを殺そうとしているサウルの手から常に救われたにもかかわらず、神を忘れ自分の考え、すなわち肉の思いで行動してさまざまな問題を引き起こしましたが、窮地に陥ると主に立ち返り、どうすればよいのかを主に伺い、主からの助言に従って行動し問題の解決を得たのでした。今日の聖句が「みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」と勧めているように、苦悩する時、恐れや心配事が心に投げ込まれた時、パニック状態に陥って自分で何とかしようとするのではなく、イエス様の「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休めてあげます。(マタイの福音書11章28節)」という恵みのみことばに従って、ダビデのように主を頼って生きようではありませんか。