雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。(イザヤ書55章10節―11節)

1.申命記811節―18
2.イザヤ書4522節―25
3.イザヤ書46章3節ー13節
4.ペテロの手紙 第一 1章18節―25節

ヤコブの手紙3章2節が「私たちはみな、多くの点で失敗するものです。もし、ことばで失敗しない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。」と語っているように、完全な人は、人としてこの世に遣わされたイエス様以外におられないので、「あんなこと言わなければ良かった。」と後悔したり、人を恐れて言うべきことを言わずに後悔したりするようなこともあるのではないでしょうか。神が約束された地を探りに行った12人は、主がモーセに語られたようにモーセには「私たちは、あなたがお遣わしになった地に行きました。そこはまことに乳と蜜が流れています。そしてこれがそこのくだものです。」と約束の地について語っていながら、カレブとヨシュア以外の人たちは民に「私たちの行き巡って探った地は、その住民を食い尽くす地だ。」と悪く言いふらしたので、全会衆は大声をあげて叫び、その夜、泣き明かしてからモーセとアロンに「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。なぜ主は、私たちをこの地に導いて来て、剣で倒そうとされるのか。私たちの妻子は、さらわれてしまうのに。エジプトに帰ったほうが、私たちにとって欲はないか。」などと言い、「私たちが巡り歩いて探った地は、すばらしく良い地だった。もし、私たちが主の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。あの地には、乳と蜜が流れている。ただ、主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」と、神と神の約束を信じ、真実を語ったヨシュアとカレブを殺そうとしたのでした(民数記13章27節−14章10節)。人のことばは心のあり方によって左右されるもので、変わりやすいものですが、今日の聖句が「わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」と語っているように、人類を救うために御子を人としてこの世に遣わされた神を、十字架の死にいたるまで従われたイエス様によって、行いによらず恵によって救われる道が開かれたことを心に据えて、良き牧者であり信仰の創始者であり信仰がなくならないように祈っていてくださるイエス様から目を離さないように心がけ、豊かな平安の義の実をつけるために(ヘブル人への手紙12章2節ー11節)、みことばに語られている主の約束をしっかり握って生きようではありませんか。