主は御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。(歴代誌 第二16章9節)

1.ヨハネの福音書1612節―13
2.コリント人への手紙 第一211節―16
3.ヤコブの手紙41節―10

「あなたの弟子たちは、なぜ長老たちの言い伝えを犯すのですか。パンを食べるときに手を洗っていないではありませんか」と言ったパリサイ人や律法学者に対して、イエス様は「偽善者たち。イザヤはあなたがたについて預言しているが、まさにそのとおりです。『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』」と言われました。イスカリオテのユダはイエス様と寝食をともにしただけでなく、霊どもを追い出し、あらゆる病気を、あらゆるわずらいをいやすために汚れた霊どもを制する権威を与えられ「天の御国が近づいた。」と、宣べ伝えるように、イスラエルの民に遣わされましたが、彼は最初からイエス様を信じていなかっただけでなく(ヨハネの福音書6章64節)、サタンが彼の心に入り(ヨハネの福音書13章 27節)イエス様を裏切ったのでした。パリサイ人や律法学者、ユダに共通しているのは、主を信じていなかったことにあります。キリスト者となり聖霊に満たされたパウロは「私のことばと宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。(コリント人への手紙 第一 2章4節)」と語るとともに「御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。いったい、『だれが主のみこころを知り、主を導くことができたか。』ところが、わたしたちには、キリストの心があるのです。」とキリスト者にはこの世の人が持っていない聖霊とキリストの心があることを語っています。パウロが「神の聖霊を悲しませてはいけません(エペソ人への手紙4章30節)御霊を消してはいけません(テサロニケへの手紙 第一5章19節)」と勧めているように、肉の思いに生きて御霊の働きを妨げてしまわないように、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストをいつも思って生きるなら(テモテへの手紙 第二2章8節)、今日の聖句が「主は御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」と語っているように、世界中のキリスト者は神の御力を味わうことができるのではないでしょうか。