事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。(ヨハネの福音書6章40節)

1.ヨハネの福音書31節―17
2.ヨハネの福音書519節―24
3.ヨハネの福音書108節―16

パウロはパリサイ人として生きていた時には神に対して熱心でしたが神の義を知らずに律法による自分の義に生き、キリスト者を迫害していましたが、ダマスコへの途上でイエス様から声をかけられ、福音宣教の働きに携わる者とされ「すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。神はすべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。(テモテへの手紙 第一2章1節―5節)」と、神の御前に良いことが何なのか、また、神の願いが何なのかを知る者となったのでした。イエス様は父のみこころを行うためにご自身をささげられただけでなく、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。(ルカの福音書23章34節)」と人々のためにとりなして祈られたのでした。今日の聖句は「事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」と、永遠のいのちは「子を見て信じる者がみな」と、すべてのキリスト者には永遠のいのちが保障されていることを語っています。ローマ人への手紙6章23節が「罪から来る報酬は死です。しかし、神のくださる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」と、罪を取り除いてくださる神の小羊であるイエス様によるものであり、行いによるものではないことを感謝するとともに、このお盆の時、亡くなられた方が生きている人の生活に影響を与えている、または与えると考える思想による祖先崇拝をされている方々の目が開かれますように、死者には何の力もないことに気がつきますように(伝道者の書9章5節―6節)、イエス様を信じる信仰が与えられますように祈ろうではありませんか。