兄弟たちよ。私は、自分ではすでに捕らえたなどとは考えていません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト。イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。(ピリピ人への手紙3章13節―14節)

1.コリント人への手紙 第一923節―27
2.コロサイ人への手紙3章1節ー4節
3.テモテへの手紙 第二46節―8
4.ヘブル人への手紙116節―16

今日の聖句「兄弟たちよ。私は、自分ではすでに捕らえたなどとは考えていません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト。イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」はパウロのことばです。彼は宣教者、使徒、教師として任命されましたが(テモテへの手紙 第二1章11節)、キリスト者になる前は激しい怒りに燃えてキリスト者を、教会を迫害していたのでした(使徒の働き26章10節―11節)。ですから、自分がしてきたことを考えたなら、後悔の念に悩まされて与えられた使命に生きることが難しかったのではないでしょうか。しかし、彼は「私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。(コリント人への手紙 第一15章9節―10節)」と恵みによる救いを体験し、恵みが実現されたのは十字架の死によるものであることを理解し、恵みをむだにしない生き方をされたのでした。神が与えてくださる栄冠には「朽ちない冠(コリント人への手紙 第一9章25節)」「誇りの冠(テサロニケへの手紙 第一2章19節)」「義の冠(テモテへの手紙 第二4章8節)」「いのちの冠(ヤコブの手紙1章12節)」「栄光の冠(ペテロの手紙 第一5章4節)」と五つの冠があることを聖書は語っていますが、それらはすべて恵みによって与えられているものであることを心に留めて、パウロが福音の恵みから落ちないように(ヘブル人への手紙12章15節)自分を打ちたたいて生涯を全うされたように、うしろのものを忘れる、すなわち過去にとらわれないで、主が「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。(マタイの福音書6章33節)」と勧めているように、死によって無効になるようなものではない国籍が天にあることを感謝し、天の御国を目指し、いつまでも神の恵みに留まっているように勧めているパウロのように恵の中に生き続けようではありませんか(使徒の働き13章43節)。