あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。(詩篇55篇22節)

1.マタイの福音書627節―34
2.マタイの福音書11章28節ー 30節
3.ピリピ人への手紙4章6節ー7節
4.ペテロの手紙 第一 5章7節―11節

パウロは「兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。だれでも、りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら、自分を欺いているのです。おのおの自分の行いをよく調べてみなさい。そうすれば、誇れると思ったことも、ただ自分だけの誇りで、ほかの人に対して誇れることではないでしょう。人にはおのおの、負うべき重荷があるのです。(ガラテヤ人への手紙6章1節―5節)」とすべての人には重荷があること、互いの重荷を負い合うように勧めるとともに、そうするならとキリストの律法を全うすることになることを語っています。イエス様が「あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです(ヨハネの福音書15章17節)」と仰せられたことから、「キリストの律法」とは互いに愛し合うことですが、それは聖霊によって与えられる神の愛であり、神の愛は十字架でイエス様が「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」ととりなして祈られた祈りに示されたように、「赦し」ではないでしょうか。そのことを思う時、自分の義に、自分こそ正しいというような態度で生きるのではなく、自分にも罪があることを認め、「お互いに赦し合う」ことが「互いの重荷を負う」ということなるとともにキリストの律法を全うすることになるのではないでしょうか。パウロはパリサイ人として生活していたときには自分の義に生き、イエスの名に強硬に敵対すべきと考えてキリスト者を迫害していたので自分のことを「罪人のかしら」と称するとともに、主の赦しを受けて恵みに生きる者となったのでした(テモテへの手紙第一1章12節―16節)。問題や失敗、思い煩いなどは人々の重荷になりますが、すべての人が一生解決できない重荷は罪や罪意識ではないでしょうか。今日の聖句は「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。」と語っています。私たちの心を支配している思い煩いや恐れ、過去の出来事など、すべての重荷を背負ってくださる主を信頼し、まどろむこともなくいつも心にかけてくださり、罪に定められないようにとりなしていてくださる主を、私たちをゆるがない者としてくださる主を拝し、全生涯の罪が赦されていることを感謝し、パウロのようにキリストにある恵みの中にしっかりとどまって生きようではありませんか。