「光が、やみの中から輝き出よ」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。(コリント人への手紙 第二 4章6節)

1.ヨブ記421節―6
2.ヨハネの福音書11節―17
3.使徒の働き267節―23
4.ローマ人への手紙720節―84

パウロはパリサイ人として生きていた時も熱心に神に仕えていましたが、キリスト者を迫害するためにエルサレムだけでなく国外の町々にまで出かけましたが、ダマスコの途上で天からの光に照らされて倒れると「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。」と言う声を聞きたのでした。そこで彼が「主よ。あなたはどなたですか」と尋ねると、イエス様は「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起き上がって、自分の足でたちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたが見たこと、また、これから後わたしがあなたに現れて示そうとすることについてあなたを奉仕者、また証人に任命するためである。わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。」とご自身がだれであるかを明らかにされただけでなく使命を与えられたのでした。キリスト者となったパウロは自分の中に罪があることを知り、「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。(ローマ人への手紙7章24節)」と嘆きましたが、「今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死との原理から、あなたを解放したからです。(ローマ人への手紙8章1節)」と答えがキリストにあることを悟ったのでした。創世記1章3節に「神は仰せられた。『光あれ。』すると光があった。」とありますが、イエス様のことを「ことば」と表現し、すべてのものはイエス様によって造られたこと、イエス様は人の光であり、やみの中に輝いていることをヨハネの福音書1章1節―5節は語っています。パウロのように自分を見てみじめに思うなら、正常なのではないでしょうか。今日の聖句「『光が、やみの中から輝き出よ』と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。」を心に据えて、心が責められるような時、パウロのように主の御顔を仰ぎみて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているこの世の神、すなわちサタンの策略に陥らないように(コリント人への手紙 第二 4章3節―4節)、恵みによって救われていることを感謝して生きようではありませんか。