主は全き人の日々を知っておられる、彼らのゆずりは永遠に残る(詩篇3718節)

1.詩篇1391節―16
2.コリント人への手紙 第一 134節―13
3.ペテロの手紙 第一 1章3節―4節

創世記6章8節―9節に「しかし、ノアは主の心にかなっていた。これはノアの歴史である。ノアは正しい人であって、その時代にあっても全き人であった。」と、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾いているような時代にあって(創世記6章5節)、ノアは「全き人」と記述されていますが、その秘訣は主の心にかなった生き方をしていたからではないでしょうか。主はアブラハムに「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ、わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたをおびただしくふやそう。(創世記17章1節」」と、信仰者が「全き者」であることを主は願っていますが、この世が考えるような完璧な人というより神との関係にあり、ノアの記事にも見られるように、主の前を歩む、すなわちいつも主を目の前に置き、主を信頼して歩む人を意味するのではないでしょうか。全き者になるように言われたアブラハムはサラに「どうか、私の妹と言ってくれ。そうすれば、あなたのおかげで私にも良くしてくれ、あなたのおかげで私は生きのびるだろう。」と、自分のいのちを守るための方策を語ったりしましたが、やがて信仰が強められ、主からイサクをささげるように言われた時、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる。(創世記21章12節)」と言われた主の約束を信じ、主を信頼してイサクをささげようとしたのですが、主はイサクに手をかけないように仰せられたので、彼は主がご用意くださった雄羊をささげたのでした(創世記22章1節―13節)。イエス様は「事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせることです(ヨハネの福音書6章40節)」と仰せられました。キリスト者はイエス様を信じたことによってアブラハムの子孫の立場、すなわち全き人とされており、永遠のいのちが与らているのです。イエス様が死者の中からよみがえられたことによって生ける望みを持つ者となったペテロは、今日の聖句が「主は全き人の日々を知っておられる、彼らのゆずりは永遠に残る」と語っているように、キリスト者には「朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。(ペテロの手紙 第一 1章3節―4節)」と語っています。これからどうなるのか、と心配するよりも私たちの日々を主はご存知であることを心に留めて「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」と祈るとともに、この世が与えることができない永遠のいのちが与えられていることを感謝して生きようではありませんか。