主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。(箴言910節)

1.申命記432節―39
2.詩篇1001節―5
3.箴言33節―10

ソロモンはこの世が人に与えることができるものは何であるかを探索するにあたって、「人の子が短い一生の間、天の下でする事について、何が良いかを見るまでは、愚かさを身につけていようと考えた。」と、「愚かさ」すなわち創造者なる神を考慮しない人々の生き方を試してた結果「私は、私より先にエルサレムにいただれよりも偉大な者となった、しかも、私の知恵は私から離れなかった。私は、私の目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした。実に私の心はどんな労苦をも喜んだ。これが、私のすべての労苦による私の受ける分であった。しかし、私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない。」と、「日の下」すなわちこの世が与えるのは「むなしさ」であることを悟るとともに「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れ、神の命令を守ることこそが人間にとってすべてである(口語訳:すべての人の本分である。)。神は善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれからだ。」と語っています。今日の聖句が「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。」と語っているように、ソロモンは若いころ神を愛し、神は恵みを与える方であることを知っていました。ですから、神殿を奉献するときにささげた祈りに罪を犯さない人間はひとりもないことを告白するとともに、反省し悔い改めて祈るなら、それを赦してくださるように祈られました(歴代誌  第二 6章12節―42 節)。彼は聖なる方、すなわち神を知っていたのです。聖なる方をどのように知っているかが私たちの信仰生活に影響を与えるのではないでしょうか。聖なる方であるイエス様は愛の神である父のみこころに従って罪人を救うためにご自身をささげられただけでなく、私たちの弱さをよくご存じでとりなしていてくださる恵みに満ちておられる方です。自分の悟りに頼らず、どんな状況下にあっても主にご計画があることを心に留めて主を信頼して生きようではありませんか。