私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。(コリント人への手紙 第一1章3節)

1.ヨハネの福音書142729
2.ヨハネの福音書1629節―33
3.ピリピ人への手紙46節―7

緊急事態宣言が解除された県の人々が喜びと不安の中におられ様子が報道されましたが、人は将来に対して想像力を働かせて予想したり、想定することはできますが、予想や想定通りに物事が運ぶという保証がないためにコロナウイルスが流行る前から、人はさまざまなことに不安や恐れを抱いたり、思い煩う生活を強いられて来たし、これからもそのように生活してしまうのではないでしょうか。ところで、神の存在を考慮しないこの世や人の知恵は不安や恐れ、思い煩いから解放されて平安を得るための処方箋として物事を肯定的に捉える、すなわち思考を変えれば不安や恐れや思い煩いから解決されるように教えますが、それらの手法は一時的な安らぎを与えることができても、精神的ダメージが深い人々にとって、弱さを抱えておられる人々にとっては、かえって肯定的に考えることができない自分に失望し、状態が悪化する可能性もあるのではないでしょうか。イエス様は「わたしは、あなたがたに平安を与えます。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネの福音書14章27節)」と、平安はイエス様によって与えられるものであり、この世が与えることができない質の異なるものであることを語っています。今日の聖句「私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。」は、キリスト者となり、恵みによって救われることを知ったパウロの祈りであり、その祈りは彼のすべての手紙にみられます。彼は「恵み」を「平安」の前に必ず書いています。すなわち、この世が与えることのできない平安は主の恵みによって与えられるものであり、一時的な気休めや安堵感ではなく、そこには主を信頼する信仰と希望が伴うものであるからではないでしょうか。モーセの後任者ヨシュアに主は「強くあれ、雄々しくあれ。」と仰せられてから三度目には「「強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたのいく所どこにでも、あなたとともにあるからである。」と仰せられました(ヨシュア記1章6節―9節)。主はどんな時にもいつもともいてくださり、すべてのことをご存知であること、主にはご計画があることを、すべてのことを働かせて益としてくださる方であることを心に留めて主を信頼し、主の平安の中に生きようではありませんか。