律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。それは罪が死によって支配したように、恵みが私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。(ローマ人への手紙5章20節−21節)

1.ヨハネの福音書19節―17
2.エペソ人への手紙21節―10
3.コロサイ人への手紙11節―6

「恵み」は、人に施しを与えるような意味を持ちますし、乾季の時期に雨が降ると「恵みの雨」、良い作物が得られると「自然の恵み」と言われるように、人や自然によって利益をもたらすもののように考えられているのではないでしょうか。ところで、詩篇107篇1節は「『主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。』主に贖われた者はこのように言え。主は彼らを敵の手から贖い、彼らを国々から、東から、西から、北から、南から集められた。」と語ってから、結論として「知恵のある者はだれか。その者はこれらのことに心を留め、主の恵みを悟れ。(詩篇107篇43節)」と語っていますが、「これらのこと」については4節―41節に、イスラエルの民が神と関係が語られていますが、そこにはイスラエルの民が神と神のことばに逆らったことによってさまざまな苦しみを味わうことになりますが、彼らが苦しみの中で主に向かって叫ぶと、主は必ず彼らを苦悩から救い出されたことを語りながら、「彼らは、主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ。」と8節、15節、21節、31節、に繰り返し語られているように、主の不思議な働きだけでなく、まず主の恵みに感謝することを、そして、知恵ある者は主の恵みを悟るように勧めています(詩篇107篇43節)。ヘブル人への手紙4章15節―16節が「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」と勧めているように、良心の咎めを受けるような時、自分で自分を罪に定めたり、自分に失望したりせず、恵みの御座、すなわち恵みとまことに満ちておられる主を、罪や間違いを犯すたびに十字架を見上げるなら、罪の増し加わるところに恵みも満ちあふれると語っている今日の聖句を体験するのではないでしょうか。今日の聖句「律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。それは罪が死によって支配したように、恵みが私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。」をしっかり握り、十字架で全生涯の罪の代価が支払われている恵みを、永遠のいのちが与えられていることを感謝しようではありませんか。