神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。(ヨハネの福音書424節)

1.ローマ人への手紙83節―16
2.ローマ人への手紙1125節―122
3.ピリピ人への手紙32節―9

「行って、あなたの夫をここに呼んできなさい。」と、言われたサマリヤの女性が「私には夫はありません。」と、答えたので、イエス様が「私に夫がいないというのは、もっともです。あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことは本当です。」と、話されると、当時サマリヤ人はモーセが「ゲリジム山には祝福を」と言われたゲリジム山に神殿を築いて礼拝していたので、彼女が「先生。あなたは預言者だと思います。私たちの先祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたが、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」と言ったので、イエス様はサマリヤの女性に「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時がきます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」と、場所の問題ではなく、どのように礼拝すべきかを話されました。場所について言えば、今は世界中で礼拝が捧げられていますし、主を信じる者には神の霊である聖霊が与えらているので、キリスト者は霊とまことによって礼拝をささげる者とされていますが、肉、すなわち自分を主体とする自我の問題を抱えているのではないでしょうか。キリスト者でなかった時には真理の御霊である聖霊を持たず、自分の義に生き、自分の考えや思いでキリスト者を迫害していたパウロは「私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(ローマ人への手紙12章1節―2節)」と、真の礼拝者となる秘訣を語っているのではないでしょうか。世の人々は祝福や利益を求めて偶像崇拝をしていますが、キリスト者には、この世が与えることができない永遠のいのちが与えられ祝福されていることを、そのために御子イエス様がどれほどの苦しみを通られたかを自覚し、肉の思いや欲に支配されているこの世の人々のように祝福や利益を得るための手段として拝むのではなく、真心から感謝をもって主を崇め、主を誉めたたえる真の礼拝者として生きようではありませんか。