主は正しく、正義を愛される。直ぐな人は、御顔を仰ぎ見る。(詩篇11篇7節)

1.歴代誌 第二201節―26
2.イザヤ書4516節―25
3.ヘブル人への手紙122節―3

イエス様は、イエス様を殺そうとしているユダヤ人たちに対して「あなたがたは、なぜわたしの話していることがわからないのでしょう。それは、あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないからです。あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立っていません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父です(ヨハネの福音書8章43節―44節)」と仰せられました。ヨハネが「私たちは神からの者であり、世全体は悪い者の支配下にあることを知っています。(ヨハネの手紙 第一 5章19節)」と、パウロがキリスト者になる前の状態を「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。(エペソ人への手紙2章1節―2節)」と語っているように、ユダヤ人だけでなくイエス様を信じていない人々は悪魔の支配下にあることを語っています。ですから、イザヤ書は5章20節が「ああ。悪を善、善を悪と言っている者たち。彼らはやみを光、光をやみとし、苦みを甘み、甘みを苦みとしている。」と語っているように、この世では「うそ」は罪であるにもかかわらず「うそも方便」ということばが象徴するようにいつも偽りがまかり通るような状況があるのではないでしょうか。しかし、神は必ず善であれ悪であれすべての隠れたことについてすべてのわざをさばかれますが、パウロが「私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。(コリント人への手紙 第一 4章4節−5節)」と、語っているようにキリスト者の全生涯の罪や罪過は十字架で支払われているので、おどろくべきことに称賛が届くと大胆に語っています。恐れや思い煩いだけでなく、憤慨するようなこと、怒りを覚えるようなことなど、いろいろ思うところがあっても、今日の聖句「主は正しく、正義を愛される。直ぐな人は、御顔を仰ぎ見る。」のように、主はすべてのことをご存じな正義の神であり、主がなさることはすべて正しいことを心に留め、主の御顔を仰ぎ見て生きようではありませんか。