ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。(詩篇20篇7節)

1.詩篇336節―17 
2.ローマ人への手紙101節―13
3.ピリピ人への手紙26節―11

NHKのドキュメンターリーでシバの女王がソロモンを訪ねたのは貿易交渉のためであったという文献が発見されたこと、シバは今のイエーメンとこのとでした。ソロモンは戦車を1400台、当時最も高価とされていたエジプトの馬を所有し、「私は、私より先にエルサレムいただれよりも偉大な者となった。しかも、私の知恵は私から離れなかった。私の目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした。実に私の心はどんな労苦をも喜んだ。これが、私のすべての労苦による私の受ける分であった。」とイエス様は「ダビデの子」と言われますが、彼の父ダビデよりも偉大な王になったように豪語しましたが、「しかし、私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない。(伝道者の書2章9節―11節)」と、日の下、すなわちこの世が与えることができるのはむなしさであることを語り、結論として「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れ、神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。(伝道者の書12章13節)」と、神を恐れる、すなわち神がどんな偉大な方であるかを、神の命令、すなわち聖書のことばに生きることこそ人が生きる道であることを教えています。パウロも「もし、ほかの人が人間的なものに頼むところがあると思うなら、私は、それ以上です。私は八日目の割礼を受け、イスラエルの民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてならば非難されるところのない者です。しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。」と、告白しています。なぜなら罪の赦しと永遠のいのちはイエス様を信じることによって与えられるからではないでしょうか。ローマ人への手紙10章13節は「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われるからです。」と、コリント人への手紙 第一12章3節は「聖霊によるのではければ、だれも、『イエスは主です。』と言うことはできません。」と語っています。ことばで祈ることができないようなとき、「主よ」「イエス様」というだけでも助けを呼ぶ祈りになるのではないでしょうか。人は何らかの誇りをもっていますが、今日の聖句が「ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。」と勧めているように、主の御名を知っていること、主御名で祈ることができる特権が与えられていることを感謝して生きようではありませんか。