あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。(詩篇1393節)

1.箴言5章21節
2.ルカの福音書2231節―34
3.ローマ人への手紙828節―39
4.ヘブル人への手紙122節―11

主はエサウの息子たちの中に、わたしのために王を見つけた、と仰せられてサムエルをエッサイのもとに遣わされたのでした。エッサイと息子たちが来たとき、サムエルはエリアブを見て「確かに、主の前で油をそそがれる者だ」と思いましたが、主は「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」と仰せられ、末の子ダビデ を王として選ばれたのですが、彼の生涯を見ると、彼は全く罪を犯さないような人ではなく、さまざまな罪を犯しましたが、彼は常に主に立ち返ったのです。ですから、パウロはダビデ について「わたしはエッサイの子ダビデ を見いだした。彼は私の心にかなった者で、わたしのこころを余すところなく実行する。」と神が証されたことを、そして「神は、このダビデの子孫から、約束に従って、イスラエルに救い主イエスをお送りになりました。」と人々に語ったのでした(使徒の働き13章22節―23節)。弟子たちが「いま私たちは、あなたがいっさいのことをご存じで、だれもあなたにお尋ねする必要がないことがわかりました。これで、私たちはあなたが神から来られたことを信じます。」と告白してもイエス様は「あなたがたは今、信じているのですか。見なさい。あなたがたが散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしひとり残す時が来ます。いや、すでに来ています。」と仰せられましたし(ヨハネの福音書16章30節―32節)、ペテロが「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」と告白しても、「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」と預言されただけで、ペテロの信仰がなくならないように祈られたのでした(ルカの福音書22章32節―34節)。そして「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしはあなたがたのところに戻って来るのです。(ヨハネの福音書14章18節)」と仰せられたように、死からよみがえられたイエス様の方から弟子たちにご自身を現され、上から力を着せられるまでエルサレムにとどまるように(ルカの福音書24章49節)、「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。(使徒の働き1章8節)」と仰せられました。聖霊が下り、聖霊に満たされた弟子たちはキリストの証人として生きられたのでした。今日の聖句「あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。」はダビデのことばです。主はダビデが、ペテロが、そして私たちキひとりひとりがどのようなことをするのをご存じであったように私たちのことをよくご存じで、罪に定められないようにとりなしておられるのです(ローマ人への手紙8章34節)。今日も主が信仰がなくならなように祈っていてくださること、主が見守っていてくださることを感謝して生きようではありませんか。