私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によっていよいよ豊かになり、あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。またあなたがたが、キリストの日には純真で非難されるところがなく、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れが現されますように。(ピリピ人への手紙1章9節−11節)

1.ピリピ人への手紙32節―9
2.ヘブル人への手紙122節―11
3.ヤコブの手紙313節―18

イエス様は「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています、その聖書が、わたしについて証言しているのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。わたしは人からの栄誉は受けません。ただ、わたしはあなたがたを知っています。あなたがたのうちには、神の愛がありません。(ヨハネの福音書5章39節―42節)」と仰せられました。なぜなら、神の愛は聖霊によって心に注がれるためであり、イエス様を信じないと聖霊は与えられないからです。キリストを信じる信仰によって神から与えられる義を知る者となったパウロは「兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。(ローマ人への手紙10章1節―4節)」と同胞のユダヤ人たちが真の知識、すなわち、律法による自分の義ではなく、信仰によって与えられる神の義を知ってほしいと願っています。ところで、パウロは「私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によっていよいよ豊かになり、あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。またあなたがたが、キリストの日には純真で非難されるところがなく、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れが現されますように。」と、キリスト者には神の愛と神の義がすでに与えられていますが、神の愛が豊かになるように、義の実に満たされるようにキリスト者のために祈っています。神の愛も神の義も神からの賜物であり、イエス様を信じる信仰によって与えられていることを、しかもその信仰はイエス様によって与えられているものであり、信仰を完成してくださるのもイエス様であることを心に据えて、主を誉めたたえて生きようではありませんか。