ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵とまことに満ちておられた。(ヨハネの福音書1章14節)

1.ローマ人への手紙5章17節―21
2.エペソ人への手紙21節−9節
3.ヘブル人への手紙4章14節―16節

イエス様は「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」と、ご自身を一粒の麦にたとえられてから、「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。父よ。御名の栄光を現してください。」と言われたとき「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう。」と、父なる神が仰せられたように、イエス様を死からよみがえらせることによって栄光を現されたのでした(ヨハネの福音書12章24節及び27節―28節)。今日の聖句「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵とまことに満ちておられた。」は、十字架で苦しまれながら、人々のために「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と、とりなして祈られているイエス様を、死からよみがえられたイエス様を目にしたヨハネが書いています。パリサイ人として生きていた時には律法による自分の義に生き、恵みがわからない者でしたが、キリスト者を迫害するためにダマスコ向かう途上でイエス様から声をかけられ、キリスト者となり聖霊に満たされたパウロも十字架と復活を知ることによって、「私は使徒の中で最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。(コリント人への手紙 第一 15章9節−10節)」と恵みに生きる者となられたのです。恵みが実現するために主がどのような苦しみを受けられたのかを思い起こすとともに、苦しみは栄光の前ぶれであることを心に留めて、パウロのように、恵みをむだにしない人生をすごすために、おりにかなった助けをうけるために恵みの御座に座しておられる主に心のうちを申し上げるとともに、信仰の完成者であり、罪がもたらす罰を十字架で負ってくだった恵とまことに満ちておられる主を仰ぎ見て生きようではありませんか。