キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。(ガラテヤ人への手紙1章4節)
1.ヨハネの福音書12章24節―28節
2.使徒の働き26章9節ー20節
3.ピリピ人への手紙2章6節―11節
4.ヘブル人への手紙2章5節―17節
創世記1章27節に「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。(創世記1章27節)」とありますが、創世記2章18節は、神である主は人、すなわち、アダムを造られてから「神である主は仰せられた。『人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。』と仰せられてエバを造られたことが書かれているように、創世記2章は、神が創造された状況を説明しており、「良くない」と思われた点を解決されたために、「神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった。(創世記1章31節)」と、悪魔(サタン)がエバを誘惑し、アダムが神のことばよりも妻の声に聞き従って神が禁じた善悪の知識の木から取って食べたル前はすべてが良かったのですが、アダムが、神の御支配からサタンの影響下に生きる存在となってしまい、世全体は悪い者、すなわち悪魔の支配下に置かれてしまったのでした(ヨハネの手紙 第一 5章19節)。悪魔や悪霊の力は、人の力が対抗できなものであるために、神は御子イエス様を人としてこの世にお遣わしになり、十字架の死によって、死の力を持つ悪魔を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放するためであったことをヘブル人への手紙2章14節―15節は語っています。今日の聖句「キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。」を心に据えて、悪の世界から贖われて、神の国の民とされるためにどれほどの犠牲が払われたかを、御子をこの世にお遣わしになった神の愛を考えて、パウロが「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるかをわきまえ知るために心の一新によって自分を変えなさい。(ローマ人への手紙12章2節)」と勧めているように、自分を喜ばせようとしているのか、神が喜ばれるように生きているのかを吟味し、神のみこころをあらわしているみことばに生きることができるように私たちの心に内住しておられる聖霊様に導いていただこうではありませんか。